前から気になっていた漫画です。
一気に1巻から7巻まで読みました。
感想をだらだら書きま~す。
アニメ化するという情報が!
来年の1月から始まるそうで。楽しみ~。
ここからは恋は雨上がりのように7巻までを読んだ感想です
おじさんに恋をして、おじさんに対して一喜一憂するあきら。
近藤の情けないところを見ても、まったく冷めませんww
近藤がお客さんにペコペコ謝って頼りなくても、10円ハゲが出来てても、社会の窓が全開でも。
近藤とのデート中のあきらがかわいい!
その前に、あきらは加瀬とデートをします。映画を見て、お茶して、最後ほっぺにチュー。
加瀬とのデートでは、あきらはそっけない態度でした。嫌そうw
ところが、店長相手だと、まるで違う。
その態度の違いに、めっちゃキュンとなりました。かわいいよ、あきら!
恋って、そういうことなのですね。
ある時、近藤はあきらを抱きしめてしまいます。
友情のハグだって店長は言い張りますwww
それを逆手に取って、あきらが、友達はメールしたりするって言って店長のメアドをゲット。顔を赤らめてるあきらがかわいいです。
近藤の私服がダサくても、恋心は一向に冷めません。
7巻の最後、近藤があきらのことを好きだと、モノローグで言いました!!ひゃっほーい!!
その「好き」って、どんな「好き」なのでしょうか。
45歳の「好き」の意味が知りたいです。(わくわく)
恋は雨上がりのように7巻までを読み終えて思ったこと
読んでて、何度も胸がぎゅっと締め付けられました。
それはあきらのふとした表情で。
そして、近藤の自分への厳しい言葉によって。
どちらかというと、近藤の方に、より多く胸を締め付けられたかな。
45歳って、そんなに、そんななのか。
高校生のキラメキは、記憶の中に残っていて、あきらと重ねて、思い返したりしてます。
それでいいじゃないか。
それなのに、今の自分のことを考えて、悲しい気持ちになる。
高校生の時のキラメキが二度と手にできないものだって、あきらの世界とは自分がかけ離れすぎているって考えている。
近藤は、何度か想像します。
あきらのそばにいる、高校生の頃の自分の姿を。
それが見てて(読んでて)切ない~。
私は読みながら、こんなことを考えていました。
どっかの高校生の子が、近藤を見て、「自分は45歳になった時に、どんな人間になってるんだろう。」と想像したとして、私はこんなに切ないならないと思います。
だって、高校生の子には、必ず45歳が来るから。想像した通りの45歳に、その子はなろうと思えばなれるし、なりたくないなら、ならないでもいられる。
ところが近藤の場合は、どんだけ高校生のキラメキに憧れようとも、自分が高校生の頃を思い出そうとも、決して、その時はやって来ない。
なろうと思っても、なれない。絶対に。
その、悲しさ。その、切なさ。
近藤は、小説を書き続けています。それも、同じ。どっかの高校生が小説家になりたいとか、こういう小説を書きたいと夢を見て頑張っていたとして、なろうと思えばなれるわけです。
近藤は、小説家になろうと思っても、なれるもんじゃない。ファミレスで働いてて、店長になっちゃってることで余計に。そんな45歳よりも、高校生の方が、夢の叶え方がラクなんじゃないかな。
あきらに好かれて付き合ったとして、あれこれ背負わなきゃならないのは45歳の方だし。
希望も、何もかも持ってるように見える、あきら。無い、45歳。
私は、この漫画から、その部分を見てしまって、苦しかったです。
それは私が日ごろから思ってることだからだろうな~。
赤ちゃんとか、3歳くらいの子とか、見ててよく思う。
この子が「宇宙飛行士になりたい」と思えば、今からでも絶対なれる。「英語ぺらぺらになりたい」と思えば、絶対なれる。「絶対音感を身につけたい」と思えば、叶えられる。この3つとも全部叶えられる。なにもかも、なにかも・・・
本人の努力があれば。
もし私が「宇宙飛行士になりたい」「英語ぺらぺらになりたい」「絶対音感を身につけたい」と思ったとして、今からだと・・・
本人の努力だけでは叶わない。年齢制限とかあるし。
言い訳かもしれないけど、とにかく、赤ちゃんから身につけようとするのと、大人になってから身につけようとするのでは、習得の苦労がまるで違うのは確か。
そんなことを考えてしまいました。
それもあって、私は漫画を読んだ後、こうしている今も、胸がぎゅって締め付けられたままです。